奇特な世界へようこそ~僕の思考回路~

僕ことURAKIが綴る目眩く思考・嗜好・そして志向の世界へようこそ。貴方にニッチな体験と出会いをお届けする そんな雑記をご賞味下さいm(_ _)m

季節外れの舞雪に想う 人は銀世界に何を視るのか 

 今朝目覚めて、窓の外を覗くと雪がかなり激しく舞っていました。季節は春、ときに四月の半ばに差し掛かろうとしています。

 長年、雪国に住んでいればこんな季節外れの舞雪を経験することも珍しくはありません。春の祭りに粉雪が舞うなんて光景も数年に一度くらいはお目に掛かることができるくらいに  そんな、さして珍しくもない光景を眺めていたら、ふと今回の記事が頭に浮かんだのです。

 季節外れの雪、こんな時に僕が思うのは 何だよ、また雪かよ・・・勘弁してくれ もう暫く視なくていいと思っていたのに・・・ といったネガティブな感情だったりします。 なかなかにシブとい敵スタンド使いの猛攻に思わずやれやれだぜと呟く承太郎のように・・・といえばイメージ湧くでしょうか? え?承太郎って誰だよって人はジョジョ第三部を読んでみてください(__)

 さてさて、僕が抱いたような感情は雪国に住むとくに大人であれば誰しもが思うことでしょう。なぜなら、雪は雪国の人々の生活にとって、基本的には害悪だからです。激しく降り積もる雪は道路を埋め尽くし、交通の妨げになります。また雪が溶けて氷結した路面は転倒事故の元になり大変危険です。それから、あまりの大量の積雪は家屋すら倒潰させる力をもっていますし、水道管が凍る、(圧雪による)倒木による停電などのライフラインへの影響も実際によくある話です。

 またその害悪である諸悪の根源たる雪を排除するために公道の除雪作業が冬季シーズン中ほぼ毎日のように行われます。これも各地方自治体が所謂、税金を使い実施していたりするわけですから本来、雪が降らなければ他の有意義な公共事業(公共施設の整備、建設など)に充てられるはずだったであろう税金がこのただただ降りかかる害悪を除去するためだけに使われること自体がそもそもマイナスでしかないとも思うのです。

しかも、除雪というのはあくまで、邪魔物を他所へ除ける行為であり、結局は排除にすらなっていないのです。排除するとなれば融雪なのでしょうが、それはそれで融けだした水で河川の氾濫などの問題を招きかねないでしょうし、そもそもコスト的に現実的な手段ではないのでしょう。*1

 と、ここまで語りましたが、こうした除雪作業を依頼されることで成り立つ職種や事業も存在するわけで、強ちこの税金云々に関していえば、それは全面的にマイナスというわけではないのも事実ではあることは付け加えておきますm(__)m

 ところで、僕は初雪が降ると大抵毎年、東京に住む友人に雪の写真を撮影してLINEなどで送っています。それは単に季節の挨拶に添えての報告だったりするわけですが、そこにはやはり、ほら、今年も、やっかいな季節が到来したよ。そちらは暖かそうで何よりだね的なちょっと皮肉交じりな気持ちを添えて送ってもいるのです。もし、相手が雪国に住む、もしくは住んだ経験がある大人であれば、きっと「大変な時期がやってきたね」「今年も厳しくなりそうだけど頑張ろう」なんて、共感励ましメッセージが返ってくるものなのでしょう。 ところが、友人からの返事といったら凄い!綺麗!羨ましい!の三点h褒め言葉責めが定番 最初こそ何だか拍子抜けましたが、これが雪と共存していない人間の素直な気持ちなのでしょう。事実、これがお世辞でないことは、実際、友人を地元観光案内(勿論雪景色)した際の反応から視ても十分信憑性がありましたからね。そして、本当に嬉しそうにしている。そんな無邪気な友人の反応を視ていてふと思ったのです。果たしていつから雪がこんなに嫌いになったのだろうと

 みんな、元来雪って嫌いじゃないと思うのです。実際に子供の頃を思い起こせば、毎年雪が降るのってひとつの楽しみでしたから それは僕に限らず大抵の子供たちがそう思っていたはずです。それが、いつの間にか大人になり雪をやっかいな迷惑だと考えるようになる・・・ことについて考える前に、そもそも人はなぜ雪に興味を抱くのかを僕なりに紐解いてみたいと思います。本当に独断と偏見持論ではありますのでご了承頂きたいのですが、人が雪に魅了されるのは、そこに特殊性があるからではないかと考えます。

 まず、とくに日本のような四季のはっきりした環境においては一年の約四分の一しかない冬という期間に空からひらりと舞い落ちるそれは、平素見かける雨の冷たさとは違い ふわりとやわらかで人の心を捉えるインパクトを秘めているように感じます。

 川端康成の有名すぎるあのトンネルを抜けたらそこは~ に謳われるように、まさにそうした日常とは違うレアな体験を印象つけてくれる存在だと思うのです。

 人は珍しいものや希少な体験には惹かれる生き物ですからね 

 ただ、それだけが理由では雪の魅力は語り尽せないのも事実。ずっと年中雪に見舞われている地域も世界には存在しますからね・・・

 ときに少々強引ではありますが、季節の風物詩といえば、夏における台風なんかも季節限定の現象ですよね あちらは堂々と災害認定であり、台風を喜ぶような人はまずいないでしょう。(ま、休校目当ての小学生くらいかな) しかし、先述したように同じく生活に害悪を与える存在である雪が愛されるのはその美しさにも理由があると考えます。

 雪の色って聞かれたら皆さん、何と答えますか? おそらくは白、それも純白をイメージするのではないでしょうか 

 現代の我々の社会において、白という色は清さや潔白、穢れのなさを表現するアイコンとなっています。この反対色である黒が反社会性や影、混沌を表現するように

 つまり、人はそんな空から舞い来る白い玉に清廉潔白を投影するのではないでしょうか。純粋なものへの憧れや望景というのは誰しも秘めているものという前提において・・・

 ところでタマゴが先かニワトリが先か?ではないですが、僕は時たまふと思うのです。

 人間が白という色に穢れのない潔白なイメージ、清く美しいという感情を抱くようになったのは、この自然が齎した天然の空からの贈り物が白かったからなのではないかと

 つまり、舞い散る雪の白さを視て、白のそうしたイメージを構築していったのではないかと  ま、そんな空想まで膨らませてくれること自体も、雪の魅力なのかもしれませんね(^_^;)

 そんな白く美しい雪ですが、人はその雪で覆われた景色を「銀世界」なんて表現したりします。

これは、白い雪に太陽の光が反射して輝いている様を言い当てた素晴らしい表現だと(僕は)思うわけですが、ここに銀という言葉がでてきたことで これまた思い出したのは、高校時代の冴えない日本史教師の授業中のこんな雑談でした。

 我が国に仏教が伝来したのは6世紀中旬、それから数世紀かけて全国に広まっていったわけですが、それまで仏教どころか下手をしたら何の教養も持ち合わせっていなかったかもしれない当時の平民(とくに農村の人々)にこの仏教というものを幅広く浸透させた一因は仏像の色にあるというのです。仏像といえば金色に輝くイメージですよね。  そう、当時はいまと違い世の中が人工的なカラフルに彩られてはいませんでしたからその中で、普段視ている景色の中には存在しない輝きを放つ金色の仏像は、それだけで当時の人々の心を鷲掴みにたのは想像に難しくないでしょう? 

 と、その日本史教師は自慢げに語ったわけです。正直、これが信憑性のある話なのか、普段は冴えない日本史教師がここぞとばかりにドヤ顔したさのために、構想したネタ話なのかは定かではありませんが、唯一いえることのは 僕が卒業後約20年経った今、この話をブログ記事で引用したくなるくらいには興味深かったということ

 白い雪だけでも美しい、それをさらに銀の世界だと例えることに違和感を感じないくらいに人は雪を崇拝しているようにも思えませんか? 大袈裟だと思われるでしょうが、少なくとも そのくらい人は本来 雪に対してはポジティブなのだという顕れといえませんか。少なくとも僕はそう思っています。

 ここでようやくの・・・閑話休題

こんな魅惑を持ったはずの雪を嫌いになったのは、やはり最初に述べたように、雪国で生活していく中でその雪との戦いを繰り広げていかなくてはならないからなのでしょう。 

 しかし、よく考えてみれば、そんなに雪との戦いが嫌ならば何故に雪国に住んでいる?ということになりますよね。基、もっとグローバルな視点で見た場合でも、先進国と呼ばれる国々、その大半が北半球に存在している事実からも、当然高緯度の地域ほど積雪の量、率ともに多いでしょうし そうした国は何故にそこに存在しているのかということが気に掛かりますよね。

 一塊の大陸だったパンゲアが移動説に従い、南北分断そのなれ果てに、我々の遙か祖先は何故北を目指しそこに安住の地を求めたのか 

 様々な説があるでしょう。実際に大陸が移動し分断されていく中で限りなく北極に近づいて行った、捕食する動物を求めた結果それを追って北へ流れ着いた・・・等々

 それを踏まえた上で僕は敢えてスピリチュアルな視点でこう考えてみるのも一興かと もうお分かりですよね? それは輝ける銀世界を求めたからだと

 いや、実際にそんなことはありえないんでしょけどね 夢があっていいじゃないですか・・・なんてm(__)m

 しかし理由はどうあれ、そんな先進国が先進国と呼ばれるようになったのも雪が一因を与えているというのは知られた話です。正確にはそうした雪も降るような厳しい寒さ、過酷な環境が、その中で生き抜くために様々な道具や機械を開発させたともいえるのですから。勿論多様因も数ある中の只の一因に過ぎないといえばそれまでですが、そこには何か雪と人間の因縁すら感じてしまうのです。

 何だかんだいっても、雪とは地球の自然が齎す現象、我々はその自然の中で生きている一生命体に過ぎないのです。そんな地球規模の現象に抵抗しようという頑張った結果もたらされたのが文明の発達だというならば、それはまるで神の与えた試練をも彷彿させます。我々からしたら越えられない試練の壁 しかし、当の白い雪は、今日もただただ世界のどこかで深々と降りしきっているのでしょう。そして降り積もった雪は陽の光に晒されて、我々に眩い限りの銀世界を魅せるのです。
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そう、何事もなかったかのように

雪は何も語ることなくただ静かに降りつづけてゆくのです。

 

*1:もちろん道路融雪剤散布など補助的なものはありますが、あくまでメインは除雪ということで