「そんな場所は何処にもないかもしれないけれど戦争のない世界に住みたい。」
今朝ほど、車を運転中に、何気なく流していたカーラジオから聴こえてきた言葉です。
これは、子供に、もし好きな場所に住めるならどんな場所に住みたいかを聞いた際に返ってきた答えを、保護者が投稿したものなのですが、おそらくこの保護者の方も、軽く質問したつもりがこんな答えが返ってくるとは想定していなかったのでしょうね
一見、無邪気な微笑ましい答えに見えますが、そんな場所、何処にもないんだろうなと前置きしているあたりが、また大人も考えさせられるやるせなさを含んでいて 何とも言えません。
この後も、ラジオからは戦争の話題 戦時中に風船爆弾*1製造工場で働いていた当時の女学生(現在91歳)へのインタビューなどを取り上げていました。
終戦記念日、それから広島、長崎への原爆投下など この8月というのは我々日本人にとっては 戦争と平和についてあらためて考えさせる時期ですから、このように各メディアでは連日のようにこの問題が取り上げられるのも当然です。
もう、今年もそんな時期になったのだなぁ ラジオから流れてくる元女学生の体験談を聴きながら、そんな思いに耽っていたのですが、これは僕が普段考えている戦争についての思いを吐き出してみる良い機会でもあるなと 今回筆を執りました。
僕が高校生の頃、当時50代に差し掛かった先生が「僕たち世代は戦争を知らない子供ですから」と、アピールしていたのを何故か覚えています。なるほど戦後50年と言われた時代です。自分たちはそんな古い人間じゃないぜというのにはもってこいの台詞だったのでしょう。ただ、この元ネタが昭和40年代に発表された楽曲だというのは後で知りましたから、そのネタ自体を知らない僕は、まさに戦争を知らない子供たちを知らない子供たち・・・と まあ話がズレましたが、このように時代とともにどんどん戦争という現実が現実でなくなっている。これは贖いようがないことです。時間は止まってはくれませんし、また、前世論者でもない限り、自分の生まれる前の出来事を体験はできないのですから
ところで、この戦争というのはよく映画や小説、漫画アニメ などの主題となることがありますよね。しかも、これは戦後に限らずもっと以前から戦争というのは創作作品の主題として存在はしていましたから、誤解を恐れず言えば、元々 人々は戦争になにかしら興味を見出す部分があるのでしょう。これは人間の性というのでしょうか・・・
もちろん作品の性質にもよりますが、こうした戦争を扱った作品を鑑賞するときに何も最初から、戦争の悲惨さ虚しさを知り考えさせられたい と意気込んで観る人は少ないのではないでしょうか。その鑑賞目的は様々でしょうが、爽快な戦闘シーンや、また戦略的駆け引き、人間ドラマなどが主でしょうかね ともかく 最初から 戦争について考えたいというわけではなく、(大勢の人々にとって)それは結果として訪れる感情なんですよね 多分。
例えば、僕が好きな機動戦士ガンダムという作品があります。皆さんご承知のとおり、この作品は人類が宇宙に進出した西暦の延長上の未来である宇宙世紀*2を舞台に地球連邦に対して独立戦争を仕掛けたジオン公国との一年に及ぶ戦争を描いた作品です。そう、内容はまさに戦争群像劇なんですよ ただ、この作品について個々が感じる魅力は万別です。無論アニメーションという作品の性質もあるのでしょうが、とくに若年層では劇中で描かれる戦争そのもののを理解できなくてもそMS*3の格好よさや活躍に惹かれたりするでしょうし、ストーリーを観たい内容派でもやはりその一筋縄では描かれない決して勧善懲悪では語れない部分に心奪われるというのも大いに想像できます。このようにまだまだ興味の持ち方は無数にあるでしょう。
そのような中、先ほども言及したように最初から戦争は不幸しか生み出さないのだから自分たちも(過去の過ちを)繰り返してはならない的な教訓染みた感傷に浸ろうって人はまずいないのではないかと 極例かもしれませんが、このように考えると、そもそもがこうした感情というのは、普段の生活で意図的に自ら欲したり求めるようなものではにのでないかなと僕は思うのです。 他のきっかけかがあってその結果生まれるものだと
それが何故なのかは、これも僕なりの邪推でしかないですが、おそらく普段の日常とあまりにも無縁の事柄(と思っている)からではないでしょうか。
人間、どうしても自分に無関係なことには興味は湧きにくいですからね しかし、実際には戦争というのは常に我々の身近にあるのですよね
世界を見渡せば、いつの時代も(もちろんこの記事を書いている現在でも)常にどこかで戦争が起きているのです。突き詰めれば人間、生きている以上、争いというのは避けられないしですし、 いつそれが起こるかも分からないのですから
でも、先の戦争体験から70年も過ぎた日本ではそんな危機感も薄れてきている。
そんな時世にあって、このようにこの夏8月という時期だけでも、普段は日常生活にかまけて目や心を向けることのない戦争という存在について考えるというこの習慣は、とても大切で貴重だと思うのです。
こうした機会に皆が戦争とは何かについて自分の中で考えることが、戦争のない世界への小さな一歩になるのでしょう。
そうすればいつかは年端にいかない子供に「そんな場所はないかも」なんて言わせずに済む世界になれるんじゃないかなぁ と まあしかしそれは遙か遠い道のりなのでしょうけれど 本当に そしてそれが実現した世界っていうのが真の意味で平和なんだろうな と そんなことを吐き出してみた 真夏の暑い日でした。