今回、久々に記事を綴っています。最終更新が昨年4月なのでなんと約一年半年もの間、当ブログを放置していたことになります。
その間にも、途切れなくアクセス頂けているので、そんな記事を楽しみにして下さっている方の為に? 復帰第一段である今回はなぜ長期記事更新しなかったのについてお話していきたいと思います。
もし、今回初めて僕のことをこの記事にて知ってくださった方については、先に過去記事を読まれることをお勧めします。昨年(2019年)の2月~4月にかけて37記事掲載しております。参考までに。。。
さて、お決まりの閑話休題
プロフィールにも高頻度更新を謳っているように、元々は出来れば毎日くらい更新していくビジョンで始めた当ブログ。実際に描きたい記事内容というのは、常に頭の中を巡っているので、あとはそれを吐き出していく つまり文章に興すという作業が必要になってくるわけです。
ま、はてなですし、当ブログ読者の方の中にはご自身でもブログを綴るブロガーさんも多数いらっしゃるでしょうから(逆にロム専は読者登録しないかも) よくお分かりだとは思いますが、この頭の中の構想を文章に興す 特にこうして不特定多数の方々に想いを発信する場合には、こう何とも云えぬパワーが必要なんですよね。
中には、そんなの関係ねぇ 甘えだ!! とか言い切れるくらい 何の躊躇もなく、スラスラと書けてしまうような人もいるのでしょうけれど 僕はそういうタイプではないようなので
閑話休題 僕の場合、この文章を書くためのパワーというのが、かなり精神的なモチベーションに影響を受けるらしく 今回の長きに渡る執筆放置に至ったのも、そんな理由からでした。
ブログを書き始め慣れてくると、まず皆さん挑戦したくなるのがアフィリエイト アドセンスといった収益コンテンツだと思います。
当初の目的が、なんだか惰性な日々に変化、そして自分の想いを世の中に発信したいという志向で、当ブログを始めた僕ですら、やはり気になる魅惑のコンテンツだったのですから 結論からいえば、過去記事をご覧いただければわかるように、Amazonが提供するAmazonアソシエイトに関しては申請し、実際に記事内で取り上げた商品などを紹介させていただいています。しかし、これは(その紹介した品でなくても可ではありますが)とにかく、僕の貼ったリンク経由でAmazonから商品を購入していただかなくては意味を成さないのです。正直、記事内にこれを採用した理由は、自分が良いと思って記事にて扱ったモノを純粋に記事を読んでくれた皆さんに手にとって頂くきっかけとしての意味も有りますし また世の中(というより現状の不変なきルーティン的な自身の日々)からの脱却という意味で、烏滸がましいのは重々承知なのですけれど、こうしたモノ書き(つまり好きなこと)で、収益(つまり結果)が得られるということに物凄く惹かれたからなのです。これも、きっとブロガーの皆さんなら極当然に思うことでしょうから 本来敢えて言及する必要もないのかもしれませんが
兎も角、言えるのはこうしたコンテンツを利用することは結果的に創作のモチベーションUPにも繋がるということ
とくにAmazonアソシエイトの場合、僕がそのモノ紹介した記事を読み、そのモノに興味をもってくれたからこそ商品が気になりクリックしてくれるわけで、それはもう僕の文章がその人の思考に少なからず影響を与えた証でもあると考えると、自身が記事を書き続ける意義を見いだせたりするものです。
そんな魅惑のコンテンツですが、人間 味を占める?とさらに欲求は留まるところを知らず、、、 そう、もう大概予想できたブロガーの方もいらっしゃるでしょう
次に目指した目標 それがグーグルアドセンスだったわけです。
全く知らない 初めて聞いたという方の為に少しだけ説明しますと、Amazonアソシエイトなどの所謂アソシエイト型は、記事内で紹介したモノをその媒体経由で購入を薦めるリンク等を記事中に貼り付け、そこから商品を実際に購入していただくことで、我々ブロガーにその一部が収益となる仕組みですが、このグーグルアドセンス、ただ広告をクリックして頂くだけで、ブロガーに収益が発生するのです。
とくにこうしたアドセンス型の中でも、そこは天下のグーグルですからその収益も他のアドセンス型よりも高めであること、広告がユーザーに合わせて自動表示(そのユーザーの好み等に特化)されたり 中々 他の追随を許さない仕様のようで
とくに収益目的でブログを始めたブロガーにはあちらこちらで、必ずといっていいほど推奨されているそんな これまた魅惑のコンテンツなのです。
ただ、世の中そんなに甘くはなく これを自身のブログに取り込むにはそれなりの審査を通過する必要があることも、調べていくうちに分かり、それこそネット上に溢れるグーグルアドセンス審査に関する記事やブログを読み漁り、準備をした上で申請してみたのが4月半ば
結果は翌日にメールにて届きました。
米国企業らしい、分かり難い遠回しな日本語でしたが
そこに書かれていたのは掻い摘んで分かり易く云えば概ねこのような内容でした。
貴方の記事にはオリジナリティがない。また(アドセンス側が求める)読者に有益な内容には至らない。
もし、審査を通過したければ、上記のような問題点を解決してから再度申請せよと・・・
そう、ここまで読まれて皆さんお察しの通り、 審査通過ならずだったわけです。
事前の下調べで得た情報である程度、厳しさは覚悟していたつもりでしたが、いざこのように不合格 不採用 的通告を受けてみると、精神的にダメージを逃れられないものだなと実感したのでした。
具体的には、こう自分を全否定されたような そんな感覚に陥るというか、、、
おいおい、それは大袈裟だろ 別に魂奪われたわけでもなし クジンシー*1に遣られた兄貴はどうなる? それともアレか? スイフー先生の出番かな?*2
しかしながら いつまでもショックを受けているわけにはいきません。
それに、人間は感情の生き物 喉元過ぎれば熱さを忘れ 親が死んでも腹は減るのです。
一晩寝ると頭は冷静さを取り戻し とりあえず出来ることを考えてみた結果
やはりまたもや調べることにしたのです。 そう、今回はこの不合格という事案について 、、
そしてまたググることで皮肉にもGoogle様にまたお世話になったわけですが(-_-;) なぜ人生はこう矛盾だらけなのでしょうね
閑話休題
調べた結果、特に興味深いなと感じたこととして、Google側が求める『オリジナリティ』についての考え方というのがあります。
ブログを読むということは時間を浪費します。つまり、読者にとって貴重な時間を費やさせている以上、その記事に書かれた内容は有益であるべきだという考え方のようです。
※勿論、合否通達時に抽象的な言い回しの定型文でしか回答がない以上 真意のほどは定かではなくこれらの情報はあくまでGoogleアドセンスに挑戦したり考察したユーザーの皆さんの意見だったり感想も含まれているということを予め御理解ください。
このように、決して公式見解ではないにせよ、こうした意見には納得させられるものがありました。
そもそも、Google側が考える有益な情報とは何かということについて、(合格のために)多くのユーザーがオリジナリティを演出することをお薦めしています。
すんなり審査通過した例として多いのが『オリジナル手料理レシピ講座』、『旅行先での体験やお薦めの過ごし方』また、近年流行りの?DIY などもそうなのですが これら記事に共通しているのは、明らかに目に視えて体感できる有益性ではないかという事 少なくとも僕にはそう感じられるわけですが、皆さんは如何でしょうか。
なるほど 創作料理や日曜大工でのアイディアなんていうのは端的で分かり易くオリジナルなわけですから、そこ(その記事)でしか得られないという意味においても明らかに価値はありますよね。これが読者にとって有意義なのは当たり前でしょう。そこはもうシンプルに納得したのです。そこは認めます。
もし、この構図を以てしてオリジナリティというのならば、僕が綴ってきたような内容というのは、やはり相馴染まないのも明らかです。
僕の綴ってきた内容は、主に自身が日頃考えている事の吐き出し、それから趣味や好きなことから得たり、感じたことをその体験を交えて伝えてみたり、またちょっと回顧的な要素を綴ってみたりect どうも、上記のような分かり易い有意義を読者に提供できてはいないと言えます。
ただ、ここへ来て諦めの悪い僕は思ったわけです。目に視えて分かり易いだけが果たして有意義なのかと
僕のブログの内容は物理的に何か読者を満足させる(真似してみようとか実践しよう)
ものではありません。しかし例えば心への作用を考えた場合はどうでしょか
小説を読むときに実用的な何かを求めて読むでしょうか おそらく違うと思います。
小説で得られるのは主に精神的な充足であり、それは好奇心を満たしたり、また感動という情動かも知れません。
無論、僕の記事は小説ではないですが、それでも読んでくださった方々の中にはそうした精神的に得られるものを求めているというケースだってあるのではないでしょうか
何も皆が皆、オリジナリティや有意義な時間を得ようとして読まれているわけではないと思います。
そう考えたならば、そうした物理的だけでなく精神的な何かを求める方々にとっては有益なのではと
しかしながら、ここまで考えた挙句、またもや思考のループに陥ったのです。
確かに、僕の思考を綴った精神論的内容は、目には視えねどオリジナルなはずです。
ただ、この世界は果てしなく広く、やはり人間ですから偶然似たような思考を持っていたり感じていたりすることもあります。また、僕が好き好んで記事にしたいゲームや映画小説などのサブカル的な薀蓄や知識はこのネット時代、そこかしこに溢れかえっているでしょう。 とくにこうしたサブカル知識なんていうのは、アナログ時代こそ、それを記憶していることはある種ステータス的な面もあったかもしれませんが、いまや何でも調べれば解決する時代ですからね。悲しきかな
そうやってどんどん負の方向へ思考を巡らせると、やはりGoogle様のいうとおりかもなと思い直したくもなるところですが、僕は開き直ってこうも思うのです。
先も述べたように世の中、似た情報や見解が溢れかえっています。ネットユーザーはそんな無数にある情報の中からネットの海を 泳いで自分の思う陸地にたどり着くのです。その検索の仕方、そこへたどり着く過程も千差万別でしょう。
たどり着ける岸部はそのユーザーによって違うのです。ですからその岸部分、同じ情報があってもいいじゃないかと思うのです。
例えば、極端な話ですが、ラーメンが食べたいとなったときに世の中にもしラーメンというものを提供するお店が1軒しかなかったら 世の中のラーメン食べたい人たちがそれを食するのは困難でしょう。
つまり、誰もがたどり着けるためにも似たような情報や考えがあってもいいじゃないかということです。
もちろん、あきらかな盗用などは良くないですが、偶発的や不可抗力的な事情ならば
それは逆にそのことを幅広く知って貰う上では十分 役にたっているのではないかと それが今の段階での僕なり答えです。
しかしそうはいってもただの自己解決でしかなくGoogleがどう考えているかは別問題なのは承知
ただ、それでも僕はやはり 書きたいものを書きたいのです。上記のようなこじつけ理由まで引っ張り出してきて、結局 何がしたかといえば、自分の中で抱えてる様々な思考を吐き出したいんです。
Google側が求めるような内容に合わせて記事を調節していくというのは、現時点では僕のやりたいこととは違う方向性を強いられることになる (勿論、それが自分の書きたい内容に合っている方はそれで良いと思います。あくまで自分はという話)
であれば、当面、アドセンスについては考えないことにして 思うが儘に自分らしいブログを綴っていこうかなと そう決意し 本ブログを再開することにしました。
では、次回をお楽しみに