奇特な世界へようこそ~僕の思考回路~

僕ことURAKIが綴る目眩く思考・嗜好・そして志向の世界へようこそ。貴方にニッチな体験と出会いをお届けする そんな雑記をご賞味下さいm(_ _)m

その感情は何処からやって来るのだろう 其の弐 

本題に入る前にまず、一言。
この人生初ブログを綴り初めてまだ数日。数にしてまだ六記事しか書けていないのですが
昨夜、その六記事目を載せた後、読者登録及びPV数が急激に伸びています。
おそらく、僕のこの拙い記事を誰かが見つけてくれて拡散(シェア?)してくれたのだと思います。
正直、初心者で右も左もわからず、スターを頂いて、初めて この星マークなんだろ?とか調べたくらいのド素人 ブログデザインもデフォルトのままですし、なんだか申し訳ないのですが、、
兎に角 僕の記事に「なんらかの興味をもってくれた人がこんなにいる」というのはブログを続けていくバイタリティに繫がると改めて実感しています。
読者登録してくださった皆さま、本来個々に伝えるべきなのでしょうが、この場を借りて改めて感謝をお伝えしたいと思います。

では、本題に移ります。

前回は、人間の本能的潜在的な恐怖についてお話ししましたが、今回は僕自身の「恐怖感覚」について言及していきたいと思います。

僕の感じる恐怖のうち、おそらく殆どの皆さんは理解できないだろうというのが「一定の間隔で永続的に繰り返す単純動作」というものです。
こんな言い回しでは意味不明ですよねm(_ _)m
いや、いま自分で書いてみても そう思いました、、しかし、説明するには難しいんですよ

ざっくり端的な例を挙げると「点滅信号」ですかね。

もう物心つくころから苦手で、皆が何故平気なんだろうと疑問でした。
しかし、自ずと「自身の感覚が異端」だと気付くようになり、いつしか 「この感情はどこからくるのだろう」と自己分析をはじめるようになりました。
そもそも何故怖いのだろう? この疑問を最初に紐解くきっかけになったのは、皮肉にも この気持ち(恐怖)を母にカミングアウトした際に言われた一言でした。
母「それ、ウルトラマンの見過ぎ」
僕「はぁ??」

こちらが友人誰にいっても理解してもらえず子供心に、意を決して大人に相談してみたというのに
返ってきた言葉がまさかの「ウルトラマン
これは、何のとんち問答なのか?はたまた嫌がらせか?

一瞬本気で面喰らったのは事実。しかし、冷静に考えれば、すぐに言いたいことは分かりました。

母が言いたかったのは「カラータイマー」のことだったわけです。
カラータイマーと聞いて、脳裏に
ウルトラマンのエネルギーは地球上では3分間しか持たない。
 エネルギーが少なくなるとカラータイマーが赤に変わる。
 そしてカラータイマーの光が消えた時、
 ウルトラマンは二度と立ち上がる力を失ってしまうのだ」
というナレーションが過ぎった シニアな怪獣ブーム世代の方、そのナレーションが流れるのは 「帰って来たウルトラマン※1」ですから、、、
念の為

閑話休題
ナレーションはともかく カラータイマーの赤い点滅はウルトラマンのピンチを意味し、危機の合図 極端にいえば「死へのカウントダウン※2」なわけです。
ウルトラマン好きだった僕にとってマンが危機に陥るというシチュエーションは恐怖に値すると考えたのでしょう。そして、それを信号の赤い点滅に重ねて恐怖しているのではないかと 母はそう言いたかったわけです。

ところで余談ですが、こんなエピソードを話してはいますが、僕は決してウルトラ世代※3ではありません。むしろ我々80年代前半生まれは特撮氷河期※4に子供時代を過ごしているため 基本的に上下の世代に比べて、 特撮音痴 特撮無知が多い傾向にあるくらいです。
ですから、僕が特撮(ほぼ円谷)マニアなのは世代などは関係ないのです 悪しからず


さて、母の言わんとしたことは理解できましたが、正直 僕の中では依然として「そうじゃない感」が渦巻いていました。
只それでも、少し発想転換させて カラータイマー切れがウルトラマンの死というなら 人間に当てはめたならそれは赤→血の色 点滅→心拍 だなと考えてみたのです。つまり点滅の停止は心臓の停止

この理論でいけば、僕は信号の赤い点滅に心臓の鼓動を重ねている つまり普段は意識していない自分の心臓の鼓動と向き合うことになる。心臓の鼓動は死へカウントダウン 脈打つごとに、確実に死へ近づいているという現実 普段は思考を背けている そんな現実を再認識させられること これが恐怖の正体 すなわち「死への恐怖」なのでは という一抹の結論には達することができたような気になりまました。
今でもこの感覚はある意味正解なのだとは思っています。しかし、これだけでは腑に落ちない未解決な感情もまだ燻っていたのです。

こうして自分で書いてみて改めて感じますが 
めんどくさいやつですよね、、、

まず第一に「怖いのは赤に限らない」ということ
たしかに先述の理論から、赤は血液をイメージさせ、その意味で、恐怖感は格別ではありますが
他の色でも点滅自体が嫌いだということ

またここで考えてみたのです。
赤の場合ははっきりと恐怖なんですが
黄の点滅などでは、恐怖というより、「不快感」が強いのだという事実。
それに気付いたとき、ふとある事を思い出したのです。

大学時代の友人にやはり変わり者の男がいました。
その友人は、家電製品、例えば炊飯器や洗濯機、掃除機などに対して 使い終わる度に「ありがとう」と声を掛けるのです。
家電に向かって感謝を語りかける、、、 尋常じゃないくらい異様な光景ですよね。
僕自身変わり者ですが、これには面食らった記憶があります。
所謂、モノに感情移入しているんですよね

ここまでで、勘のよい読者方々はわかったかもしれませんね
そう、友人のそんな行為を、半ばバカにしていた僕自身も実は「信号機」というモノへ感情移入していたのではないかと考えてみたのです。

信号機を擬人化した場合、彼らは寒中問わず、外気に晒された上、おまけに一切休むことなく永続的に「強制労働」させられる運命なのです。そんな彼らの放ち続ける光にSOSだったり空しさを感じとっているのです。「不快感」と表現しましたがより正確には「可哀想で視てられない」という心理かもしれませんね。
これが、いま現在僕の「点滅」に対する恐怖感情の自己分析です。
感情移入の話は、恐怖といえないのではと思われるかもしれませんが、「壊れるまで延々と無休労働」している姿を視てられないというのは、結局 それが恐怖だからですからね  あれ?話しが輪廻矛盾してきましたかね、、

ともかく 僕はこうして常に自己の心理分析をして生きていたりするということ
支離滅裂にはなりましたが こんな思考があることを知ってもらえたら幸いかなと
まだまだ自己分析はおそらく一生続くのでしょうが 、、
ああ 哲学っていいなぁ


~終わりに~

去年のいつ頃だったか、ふとネットで見つけた小さなニュース記事
そこには偶然にもちょうど我が県で、県内の不要な信号機を撤去していく試みが始まった旨が書かれていました。
老朽化したものや、道路や環境が変わったことでの利用者減少が明らかな点滅信号を 市民の情報をもとに調査し順次撤去していくというものでした。
僕は、この記事を見て、ふと 永続的な強制労働から解放されて、「これで安らかに眠れる」彼らに
思いを馳せたのでした。。

※1 ウルトラシリーズ四作目  当初、初代マンのリメイクとして製作され第二次怪獣ブームの火付け役となった。シリーズで僕が一番好きな作品でもあるのでまたの機会に語りたいです。

※2  タイマーが切れても、実際にはダイレクトな死の演出になることは少なく、重症状態で変身前の人間姿に戻ったりする。

※3  昭和ウルトラシリーズ放映時に対象年齢だった現シニア世代(あくまで個人見解)

※4  ウルトラシリーズは1980年のウルトラマン80以降、1996年のウルトラマンティガまで16年間TVシリーズ不在。
東映の仮面ライダーシリーズ然り 主たる特撮作品がTV製作されなかった時代を指す。この世代はゲーム、アニメ世代といえる