自身が日頃考えていることを徒然なるままに吐き出すのがコンセプトの当ブログ。
今回は、「恐怖」について語りたいと思います。
人は感情の生き物です。喜怒哀楽とは、いいますが、実際には、このような四字熟語では表現することができないくらい無数の感情の変化を体感しながら生きているはずです。
そんな我々を「支配」している感情のひとつである「恐怖」について 皆さんは真剣に考えてみたことはあるでしょうか
昔、何かで読んだのですが、人間が潜在的に持つ恐怖は2つしかないそうです。
それは「落下の恐怖」そして「音の恐怖」だそうです。もちろんこれは、一説であるわけですが、当時 なるほどと妙に納得したのを覚えています。
おそらく、人が文明を築く遙か以前、それこそ原始の時代から、これは大切な「感覚」だったのでしょう。音に対する敏感な反応は、天敵の襲来や自然災害の前兆などを察知するためのセンサーといえたでしょうし、高所から落下したら生命に関わるのを認識して怖さを感じるのは現代でも同じです。
つまり、これらは「恐怖」という感情を借りた「防衛本能」といえるのかもしれません。
ちなみにこの説によれば、これら二つ以外の恐怖というのは、あくまで後天的なものであり、「克服できる」そうですが、、 まあどうなんでしょうね
それを言い出したなら「死への恐怖は?」などという疑問も湧いてきますしね ※1
また、最近 たまにニュースで見かけることがある
「高層マンションなどからの子供の転落事故」
これら、大抵の場合 ベランダの柵に登ったりして足を滑らせたのが原因だったりするようですが
そもそも、「高い所で恐怖を感じていない」から平気でそんなことできるんですよね。もちろん、度胸試しということもありえますが
何れにせよ、もし仮に先述の一説を信ずるならば、現代でいう「高所恐怖症」というのは、むしろ(本能的潜在的には)正しい在り方ということになるわけで、その「高所恐怖」という感情を持たない人間というのは、即ち「本能的な恐怖を克服している」ということになりますよね、、これは、、、
進化した新人類
はたまたニュータイプかっ?!※2
なにやら凄い話になりましたが、、強ちそれも間違いではないのかもしれません。
現代と太古の昔では、生活環境も違います。
大地にしっかり足をつけて四六時中生活しているからこそ、地の感覚が分かるのです。
このような転落事故の場合、大抵はマンション高層階で生活している子供の場合が多く、そんな普段窓から眺めるのは空 という環境
で育ったならば、やはり高さに対する感覚は違ってくるのでしょう。
まさに 地球を離れ宇宙で生活するようになったことで地球人(アースノイド)にはなかった第六感が目覚めたスペースノイドのように
まぁ これは一例ではありますが、このように恐怖も時代と環境とともに変化してきているのは事実。
ただ、皆さんの中に高所恐怖症の方がいらしたら
、僕のこの話を聞いたこれからは自信をもっていいかと思います。
あくまで本能に忠実なんだと
さて、タイトルにも示しましたが
今回は、ちょっと分割して記事を綴りたいと思いますので このあたりで、一旦失礼します。
其の弐をお待ちください。
※1 これについてはまた別の機会に言及するつもりで考えています。期待していてください。
※2 「機動戦士ガンダム」シリーズ(宇宙世紀軸作品 但し例外在り)に登場する概念。ざっくりエスパー これについてもまたの機会に詳しく