奇特な世界へようこそ~僕の思考回路~

僕ことURAKIが綴る目眩く思考・嗜好・そして志向の世界へようこそ。貴方にニッチな体験と出会いをお届けする そんな雑記をご賞味下さいm(_ _)m

あなたはこれを覚えているだろうか ~魅惑の熟字訓~

突然ですが、小学校や中学校で必ず習ったはずなのに全く覚えていない事って 皆さんも、結構あるんじゃないかと思います。
今回タイトルに掲げた「熟字訓」もまさに、そんな忘れられがちな知識のひとつでしょう。

熟字訓なんて聞いたこともないという方 そんなことはないはずなのです。中学3年の国語教科書にはしっかり載っていますから

何故、いま、こんな話をしようと思ったかというと、僕が、この「熟字訓」の魅力に取り憑かれた人間だからです。 
ですから、今回は、皆さんにこの素晴らしき魅力を伝えようというわけです。

では、この熟字訓とは一体何ぞやということなんですが、これを「理解」していただくためには、順序を追って国語のお勉強を思い出していただかなくてはなりません。

但し もちろん、今から話すことを覚えている方は、読み飛ばしてください。
また、熟字訓についてしっかり理解している方は、最後の結論(僕の伝えたかったこと)のみ お読みいただけたら 十分です。

では閑話休題

まず漢字には音読みと訓読みが存在していることは誰でも知るところでしょう。
では、この選別については如何でしょう
おそらく殆どの大人が、感覚で読み分けているのではないでしょうか
これについても、実は習ったはずななんですよね
小学生に聞くとたまに「片仮名で表記する読み方が音読み 平仮名なら訓読み」という答えが返ってきますが、これは所謂「辞書のルール」です。辞書を引いた際に分かり易いように便宜的にそう分けているはずです。※1

※まず断っておきますが、ここから先の音訓~知識については今回の趣旨を理解していただくための事前知識として必要なだけなので、とりあえず簡略化して解説していきますので御理解ください。

では、普段の音訓識別するための法則(というより正しい方法)は、ざっくりいうと
用言(形容詞、動詞など)であれば、「送り仮名が付くのか否か」 
体言(名詞、代名詞)ならば「その漢字一字を発音した際に日本語として意味を成すか否か」
です。
漢字はそもそも中国(当時は漢)から伝わった渡来文化です。音読みというのは、その漢で使われていた読み方(音)そのまま、もしくはそれに準じた発音といった感じでしょうか。
例えば 音→おん 山→せん 美→び といった具合です。ご覧のとおり、この読み方では一字では日本語の単語として機能しないのがわかります。
訓読みは、日本人が自国文化である万葉仮名(平仮名のルーツ)に合わせて馴染ませた形といえば分かり易いかと
先ほどの3例を 訓読みさせると
音→おと 山→やま 美→うつく(しい)
となり、意味が通じますよね

これがまず基本的な音訓の選別です。

次に、音読みであっても漢字を二字重ねることで意味を成すようになります。これを熟語といいます。

山→さん だけでは発音として聴いただけでは意味がわかりませんが  これに同じく音読み 林→りん(もちろん、訓読みは「はやし」)を加えることで、 山林→さんりん となり、ちゃんと意味が通じるようになります。(二字熟語)
このように基本的には熟語は音+音で形成されますが、中には例外があり
音+訓のものを 重箱→(重は音読み「じゅう」に対して箱は訓読み「はこ」)を例に挙げて 「重箱読み」、そしてその逆 訓読み+音読みさせる二字熟語は 湯桶(湯の訓読み「ゆ」と桶の音読みである「とう」)で「湯桶読み」と言います。
如何でしょう 少しは思い出したでしょうか?
中には「重箱読み」は聞いたことあるかもという人はいることでしょうね。
一方、湯桶については、そもそも桶(訓読みなら「おけ」)を音読で「とう」と読むことすら識らない方も多いでしょう。
ですから、音+訓で読ませる熟語は、こんなマイナーな「湯桶」(ゆとう)を例にしないとならないくらい稀有だという証なのでしょう。
いま記事を書きながらざっと思いつくのは 
雨具(あま+ぐ) くらいですね(^-^;  まあ調べたらもっと出てくるんでしょうけど
個人的には「雨具読み」のほうが分かり易いように感じますが、、、

さてさて 国語が苦手な方には大分 小難しく感じる話だったかもしれませんが如何でしょう
もうしばらくの辛抱ですので、是非最後までお付き合いください。
ま、そもそも僕のこんな長たらしい支離滅裂ブログをここまで読んでくださっている皆さんには無用な心配なのかもしれませんが、、、


ここまで予備知識の確認ができたところで
ようやくの本題です。

このように通常、熟語に於いては、漢字を「読む」場合は「漢字体ごとに区分して読ませる」わけですが、
そうではなく「単語として全体で読ませる」読み方が存在します。
これが、熟字訓です。
実は、この熟字訓、ピンときていない方も多いかもしれませんが、実は日常生活でも、知らずのうちに多用しているんです。

明日という単語
皆さんはなんと読むでしょう?
おそらく 「あす」もしくは「あした」ではないでしょうか?
これが熟字訓です。

明日という熟語を一字ごとに分けて従来通りの熟語として考えた場合、
明→「めい または みょう」 日→「じつ または にち」と、音+音でオーソドックスに
「めいじつ」や「みょうにち」となります。
因みに、重箱読みであれば「あくるひ」となるでしょう。
上記の「あす」や「あした」では、単語ごとに音を分け当てることができませんよね。
つまり、「明日」という熟語自体に「あす」「あした」という読み方を宛てているのです。

因みにほかには「五月雨」と書いて「さみだれ
「運命」と書いて「さだめ」なども熟字訓といえらるでしょう。※2


「本来の個々の漢字のもつ音訓を超えて、
       単語全体に意味を持たせる発音」

この感覚にセンスを感じてしまうわけです。

そして、そんな熟字訓の中で、僕がとても気にいっているのが「閑話休題

お気づきの方もいらっしゃるでしょう
そう、僕が当ブログでも多用している四字熟語です。

いま四字熟語といいましたが、現在では文字通り「かんわきゅうだい」と読ませる四字熟語に他なりません。
しかし、実は過去には これを熟字訓として扱っていたという記録があるようなのです。
いまは、使われなくなった その読み方は

「それはさておき」

如何でしょう?  伝わりましたでしょうか
閑話休題そのものの意味をストレートに音で表現しきっていると思いませんか?
また、漢字四字から成る言葉とはおもえないくらい滑らか 先述の「さだめ」や「さみだれ」も然り 
そういう感覚に惹かれるのです。
これが今回、僕が皆さんに伝えたかったことです。
もし、この感覚を共感していただけたなら
言葉に対する見方に新たな刺激になるかもしれません。是非 熟字訓 意識してみては如何でしょうか

というわけで 閑話休題 → 今後も文中で見掛けたら 唯々 多用しているわけではないこと思いだしてくれると嬉しいです。
では、今回はこれにて  


※1 専門家ではありませんので万一違ったらご容赦ください。それ以外での用途もあるかもしれません

※2  法則的には間違いないのですが、考え方によっては比較的近年に「新たに造られた」熟字訓は除外している文献もありますので、判断は微妙です。