前記事で、毒を吐いたので 今回は少し穏やかにいきたいと思います。
今回は「言葉」の大切さについて 最近考えてみたことを綴りたいと思います。
最近、自身の伴侶、つまり妻のことを「うちの嫁が」という既婚男性をよく見かけます。
それこそ、TV、ネット 身近な生活でも
ここまでの話で、「それが何か?」と思った貴方
ここで国語のお勉強です。
「嫁」というのは、本来 「息子の妻」を指す言葉なのです。
つまり、舅や姑が用いる言葉なんです。
それを知ってか知らずか 最近 自身の妻を嫁と呼ぶ
なまじ、知識があるだけに、この誤った用い方を聞く度に なんともいえない不快感覚に悩まされます。
あまりに気になったので調べてみたところ、どうやら 2000年代に入ってから某吉〇の芸人がTVで言い始めたのが広まったきっかけだとか
なるほど 確かに昔はさほど聞かなかった気がします。
まあ因がわかったところで、それより僕が気になってしまうのが、「果たして彼らは本来の意味を分かった上で敢えて言っている」のか否かということです。
おそらく、考えるまでもなく答えはNoでしょう。
まあ、本来の意味を把握していたらなら敢えて妻を「嫁」呼ばわりはしないのが常なのは考えればあたりまえですね。
だからこの場合、僕が憂いてしまうのは、「無知とは罪」だなということ
ちなみにこの逆は、素敵だなと感じてしまいます。
地元の親友に、某大学で教鞭を執っている男がいます。彼はメールのやりとりや普段の会話で、必ず大袈裟なくらいの方言を用います。これは、もちろん敢えてやっていることでしょう。とくに地元を離れて大学そして現在に至る過程で生じた地元愛の顕れなんだろうなと勝手に解釈はしていますが、、果たして本人がなんというかは神のみぞ知るところ
まあこのように言葉一つ 用い方 知識があるかないか で その人の質を診るのも面白いものです。
最近思ったことでした。