まずはじめに読者の皆様ご無沙汰しております。暫く更新しなかった間に、世間は元号発表フィーバーみたいですねぇ そういえば、先日、新元号発表された瞬間にグーグルで「令和」を検索してみたところ、トップに表示されたのは、憲法学者の川岸令和さんという方のWikipedia そのわずか数分後?にはもう順位が入れ替わっているいう事態に、なんだかドメインパワーの凄さを感じてしまいました。僕もあやかりたいこのパワー!
ところで、後でニュースを観たらこの川岸さんも検索トレンド入りしていたようで、やはり世の中、みんな大体考えることは同じなんだなぁとも痛感・・・ 自分だけのネタにしたかったのはやはり甘かった・・・
甘いぞ!URAKI 戦いの中で相手を選べるとでも思ったのか!!
と、ケリィさんの勇猛果敢な迷いのない叫び声が聴こえてきそうですね・・・ え?そこはウラキ少尉*1だって? おやおや連邦の新米少尉さんと名前が・・偶然もあるものですねぇ( 一一)
さて本題に入りましょうか
今回のタイトルを見て、マーフィーって何ぞや?エディ・マーフィーなら知っているが、まさか今度は映画の薀蓄ですかぁ? なんてな安直に考えた貴方、不正解です。
いくら僕でもエディ・マーフィーの法則を語るとか、ちょっと無理があるってもんです。というか、意味分からないですよね・・・ なんだろう?ハリウッド俳優の法則って逆に気になっちゃいますね。ともかく、いまのところハリウッドデビューの予定はありませんので悪しからず( 一一)
今回お話したいのは、米国で活躍した牧師であり宗教家で作家の故ジョセフ・マーフィー博士が提唱した人間の深層心理、潜在意識に関する法則についてです。
なんだよ、映画じゃなくて心理学かよ。唐突にそんな小難しいこと言われてもよくわかんないよ 潜在意識って何ぞや?
という方のために、ざっくりと掻い摘んで、この法則について説明していきましょう。
普段我々は、物事を意識的に捉え考えています。「〇〇をしよう」「〇〇がしたい」などと思うのはこの表層の意識(顕在意識)によるものですが、その根源にはそれをしたいがための理由があるはずです。その人間心理の根幹つまり深層心理は、意図的に意識できない無意識の領域といわれていて、それを潜在意識と呼びます。
なんだかよくわからないかもしれませんが、要は普段考えていることは表面上の思考であって、実は心の底はそんな意識では認識することのできない意識の核が存在するというイメージですね。
普段、生きるために「俺の心臓よ動け!」「呼吸しなくては」などと意識などしていなくとも、心臓は休むことを知らず今日も脈を打ち続け、息をしています。これも無意識たる潜在意識の働きによるものです。もし、仮に意識する心(顕在意識)で、「心臓よ止まれ!」と念じてピタリと止まったなら クリフト*2要らず。基、そんなことにならないのはこれが潜在意識により無意識に行われているためです。そう、潜在意識の思考に顕在意識は通用しないのです。
顕在意識が止まれといっても、潜在意識が動き続けろといえばそれが実現されるのです。もしも本気で止めたいならばそれは潜在意識を操らなくてはならないという訳です。
人は無意識のうちにいろんな感情を抱いています。それは潜在意識に刻まれていき、やがて現実になるということ。これが潜在意識を動かすのです。潜在意識は一度刻まれた事象は必ず実現させる魔法の意識なのです。と、まあこれがマーフィー博士が語る潜在意識の力なのです。
極端な話、不快なことが起きたならそれは、貴方自身が無意識のうちに、その不快な事柄を期待した結果呼び寄せたということになるのです。
ここで興味深いのは、先ほども話したように、顕在意識で頭に描いたことは潜在意識に通じない。むしろ潜在意識は、その表層の意識が作り出した嘘とは真逆の事を具現化することがあるということ
例えば、顕在意識で俺は絶対に失敗しないと思ったとしたならば、それは実は失敗することを望んでいるというのです。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、これは潜在意識というものが非常に純粋なものであるという考え方からきています。
潜在意識はまるで子供のように純真無垢なので、顕在意識が言葉として描いたイメージをそのまま素直に受けとるのです。つまり、この場合、失敗という言葉を意識した時点で、潜在意識には失敗のビジョンとして認識されるのです。
つまり、成功したければ、成功について考え、失敗について考えてはならないのです。
と、ここまでは、何となく理解できる話ではないかと思います。
実際、僕がこのマーフィー理論(法則)に出会ったのは、小学生の頃 いまは当に絶版になったであろう、マーフィー博士の古い著書が、何故か自宅に置いてあったので興味本位で手にしたのがきっかけでした。
子供ながらにその内容の凄さに惹かれたのは、その著書の中で一例として挙げられていたあるエピソードがあまりに衝撃だったからです。
マーフィー博士が知人から聞いたというそれは、ある未開の地に住む原住民族の習わしについての話でした。その民族の間では、生まれた子供のタブーを族長が決めるという習わしがあり、族長が決めたタブーは生涯絶対に犯してはならないというのです。「バナナ」をタブーと運命づけられた青年がいました。彼は絶対にバナナを食してはいけないと両親から言われ続けて育ちました。その彼がある日、知人に馳走してもらった料理を食べていて、とても美味しかったので、一体、材料は何なのかを知人に問うたのですが、なんとその答えはバナナ これを聞いた途端に、その青年はショックで死んでしまったというのです。
幾分、古い話で曖昧な個所もあるのですが、概ねこのような内容だったと記憶しています。
このエピソードは小学生心にとても響きました。それまでのどんな説明よりも強烈に
思い込みって本当に凄いパワーを秘めてるんだと思わせてくれたのです。
それからはもう何冊も博士の著書を読み、そのうち先述したような潜在意識に関する法則についても理解していったのです。
そんなわけで、僕のマーフィー歴はかなり年季が入っているのですが、こんな僕が身をもって体感したのは、まず第一に潜在意識のビジョンを意識が邪魔をするということでした。
大体、大きな目標を意識で感じても、それは気張っているのです。絶対今度の大会で優勝するぞ!と声をあげて意識したところで、その実それは、もし優勝できなかったらどうしよう・・・という気持ちの裏返しだったりするのです。
例えが微妙な気もしますが、好きな子が居て、本当は好きなのにわざと意地悪をしてしまうという経験ってありますよね? そんな経験が仮にない方でもそういうシチュエーション自体は想像はできると思います。この場合、意図的に意識してやっている場合だと顕在意識の上での自作自演恋の駆け引きとも言えますが、、ともかく僕は、このように本当に思っていること(潜在意識)とは全く別のことをしてしまう(顕在意識)という図式をまざまざと体験してきました。
しかし、同時に、敢えて意識しないことで、事体が心底思うように動いた経験もしてきました。
大学時代、恋人と別れてしまった後、何故か漠然と何とかなるさと自然と心の底から思えたのです。そうすると暫くして、また新たな出会いのきっかけがやってきたのです。
は?何それ 自慢話なんか聞いてないんですけど と思った方 すみません。しかし本題はそこではないのです。
僕はこの体験を経て思ったのです。意識するというのは即ち悩むことだと 悩むことは思考することと同義として捉えられがちですが、結局悩んでいる時点でネガティブな感情を潜在意識に刻む手助けをしているんですよね。だから、もしこの時、僕が仮に、よし!はやく新しい出会いを見つけるぞ。過去なんかさっさと忘れてと意識的に思考したとしましょう。その場合、全く逆のこととして潜在意識は捉えているわけです。さっさと忘れたいというのは忘れられないから忘れないと・・という気持ちの顕れということです。 実はちっとも前向きじゃないということです。
しかし、実際、僕がとった行動はただ漠然とリラックスした気持ちで、何とかなるだろうさという、なんの悩みもない気持ちだけだったのです。それがシンプルかつストレートに潜在意識に伝わった結果、すぐに新たな出会いの機会が訪れたのでしょう。
ちなみに、悩むことの災厄についてもしっかりマーフィー博士は著書にて述べているわけですが、それを身をもってそれを体感したわけです。
実際、この経験の後も社会人になってからもこの何とかなるさ思考で自身の望むように事態が切り開けたと感じる体験は何度かありました。
ですから、確かに意識せずというのは難しいですが、実際、体感している僕はある意味この法則の信奉者といえるでしょう。
しかし、ここまで話を聞いて恐らく ふーん でもさ そんな上手くいくわけないよね そんなので思い通りになるんだったら みんな理想を実現できてていいんじゃないのかな? 胡散臭い それに・・・科学的に証明されてないんでしょ どうせ なんて意見の方もさぞかし多いことでしょう。
現代が科学信仰の時代であるということとそれによる弊害?については過去記事にて言及しましたが*3、マーフィー博士も述べているように、こうした科学による裏付けお墨付きがないと何事も信用できないという姿勢(思考)も、素直に潜在意識を活用できない理由なのです。
先述した未開の地の原住民が素直にタブーを信じられたのも、その結果命を落としたのも科学というものと無縁だったからという事が一因でしょう。人間は文明と科学の介入により疑うことを覚えたのです。そうした現代にあって、この法則がすんなりと腑に落ちない人がいるのは必然の習わし そして、もし頭で理解できたとしても、やはりそこには意識の壁が立ちはだかるわけです。そう、僕も嫌というほど経験してきた・・・基、今でも悩まされている意識という邪魔な存在が だから先ほどある意味信奉者だと言ったのです(毎度、上手くいっているわけではないから) とくに現代人の我々にとっては一筋縄ではいかない困った法則でもあるのは事実でしょう。
そもそもそれ以前にこれを信じない人、信じる人 意見も様々だと思います。
しかし、最終的に僕が思うのは、信じるか否か、法則を理解し上手く活用できたか否か
ということよりも、我々が生きる世の中に、こうした希望をみせてくれる考え方が存在するということ自体が大事なんじゃないかなということ
もし、不幸のどん底に喘いでいる人が居たとして、こう自分の気持ち一つで未来を明るく切り開けるという方法が存在するのと、全く救いがないのとでは気持ちの上で、雲泥の差だと思うのです。
僕たちの人生に、希望を示してくれる存在があってもいいじゃないですか。たとえそれを信奉することがなくても いつでもそこに希望の光が在る それは求めれば応えてくれる魔法の法則 僕はそう思いつつ、今夜も潜在意識に理想の未来を想い刻みながら眠りに就くのです(-。-)y-゜゜゜
~エピローグに代えて余話~
時に、余談ですが大学時代、友人にこのマーフィーの法則の話をしたところ、全く別のマーフィーの法則が存在することを聞かされることになったのですが、、この話はまたの機会に詳しく記事にしたいところ(あくまで未定) 一応アレです 嘉門達夫*4も歌ってるほうのやつですね
何事であれ失敗する可能性があるものは失敗する
洗車し始めると雨が降る
といったような 所謂あるある話をまとめたような法則。どうやら、我らがジョセフ・マーフィー博士の法則のパロディ?のようですが まあこうして形を変えて流布されるくらい愛された法則であるということで(^^;)