僕はガンダムという「作品」が好きです。そりゃぁもう一日中話していられるくらい大好きなんです。
ですから面識の浅い人や初対面の方と話していて「好きなことは何ですか?」と趣味の話題を振られたならば、まず迷わず、ガンダムについて語るようにしているわけです。
そんな場合、大抵の人の返しは大体決まっていて
「じゃあさ、君はガンダムに乗ってみたいんだよね?」
・・・これです。もう、せかっくガンダムの魅力を語ろうとしていた僕の心を一気に真冬の日本海にでも掻っ攫うかのような、なんとも云えぬ寒々しさ・・・
なんだ、このザラっとした感覚は!
まるで、カミーユの気合いを感じ取った時のフォウの如く、とにかく気持ちが悪いのです
中にはさらに追い打ちを掛けるように・・・
「お台場のガンダム観に行ったよね?絶対」
・・・思考回路はショート寸前とは正にこのことか・・・なんにもいえねぇ
と、まあ毎度こんな思いをもう幾度となく繰り返してきたわけです。
ま、それでも語ってしまうのは僕の性なのでしょうが・・・
誤解なきように言わせて頂きますが、このような「事」に心時めかせる。つまり、自分もアムロやカミーユになってガンダム(MS)を操縦してみたいという憧れや、是非等身大の本物のMSに触れてみたいといった感覚。そういった楽しみ方もあってよいと思いますし、むしろきっとそういう「見方」で作品を楽しんでいる方が大勢いるからこそ、こうした「反応」や「等身大像の需要」があるのでしょう。
それは理解できますし、否定はしません。しかし「それ」が当てはまらない僕みたいなファンマニアもいるということ
僕の場合、ガンダムを好きな理由というのは第一にその世界観だったりします。元来、思想や社会情勢などに興味がある質だという事もあって、このガンダムという作品で描かれる「宇宙世紀」という架空の未来で繰り広げられる人々の思惑や思想のぶつかり合い、人間ドラマ そんな部分に魅力を感じるわけです。
第二に兵器について。当然ロボットアニメ(この言い方もあまり好きではないのですが・・・)ですから、兵器が売りであることは必然の習わし
御多分に漏れず、僕もそんな兵器(MS及びMA)は大好きです。但し、それに乗りたいとか実物を・・などという感覚は無いに等しくて、むしろデザインや開発系譜などに魅力を感じるのです。
RMS-108マラサイをはじめ、ティターズのMSの多くがとても連邦とは思えないデザインなのも、一年戦争後、元ジオンのメカニックたちが開発に携わっていれば合点がいくわけで、結局それが結果的に視聴者にティターンズ(敵)と認識させる役割を果たしているとか(実際は逆発想か)、あの重厚なデザインのRMS-099リックディアスが、当初ガンダムタイプとして開発されていたとか、それがZ計画に繋がっているという設定など現在なら、ちょっとかじったファンなら誰でも既知なことから、08小隊にて、後半ノリスが搭乗するMS-07B3グフカスタムは、本来はYMS-08イフリートの改良発展機を予定していたが、監督の急逝等で結局お箱入りし、同じく一年戦争サイドストーリーを描いたポケ戦にて(ジオンの主要MSとして)唯一リファインが見送られていたMS-07の系譜に落ち着いたというような、ちょっとディープ?な内容まで・・・
また、これは以前の記事*1 で言及したことと被りますが、そもそも「アニメーションとしてのガンダム」が好きなのであって、そこに「現実世界」を重ねたいという願望はまったく持ち合わせていないのです。
ガンプラ然り
ガンプラが好きなのはあくまでそのキット自体が好きなのであって、別に実物に憧れたり操縦したい欲求の代償ではないのです。
ご理解頂けるかはわかりませんが僕の思考(嗜好)は事実そうなのです。昔から
ですから、記事冒頭のような発言を受けるとあんな気持ちになるのです。
勿論、このケースに限らず、こうした会話では自分がよく知らない事やモノに対しては「一般的な見解」で返事を返すのが「普通」ですから 当人たちに落ち度はなく無論悪気はないのです。むしろ、その振り方で話が盛り上がる場合のほうが多いのですから
繰り返しますが、これは批判ではありません。現実世界にMSという兵器が存在したら・・と憧れる 結構なことじゃないですか。すごく純粋で夢があるというのは理解できますよ。
ただ、ここで言いたいのはそうした「ガンダムの愛し方」がステレオタイプになってしまっているという現実
これは、仕方ないことなのですが 問題はファン当人たちより、よくガンダムを知らない人たちが、「ガンダムってこういうものなんだ」と先入観を持ってしまっていることだと思います。それを憂いてしまうのです。
先入観、、それはやがて固定観念となります。
この固定観念というのがやっかいなのは、ここまで語ってきたとおり、つまりそれによって「その作品を色眼鏡で視てしまい、本来素直に接すれば感じ得たかもしれない魅力を自ら放棄していること」それから「いろいろな作品の捉え方があるということを知る機会をも遮断してしまう」といったように、とにかく負の要素が多いのです。
実際、このように固定観念を批判し憂う発言をしてきた僕も、他でもない「固定観念」に支配されています。
それどころか、世の中におそらく固定観念なしで、全ての物事をフラットに捉えられる人間なんていないんじゃないでしょうか。基、いないはずです。
僕も全く興味のない世界の話題なら、同じようにごく一般的な社交辞令的返しをするかもしれません。そんな時、相手によっては、僕がガンダムの話で感じたような非常に気持ちの悪い思いをするかもしれません。
まさに反面教師とはこういうことをいうのでしょうね
自分が被立場になって初めて気づく その感覚
固定観念を克服できたならどんな人生になるのか。それは神の味噌汁神のみぞ知るといったところでしょうか
人間は所詮万能ではありません。そのことが「個性」を生み出しているのです。
そう考えたならば、「固定観念」は必要悪であるという見方だって出来るのです。
こうして、答えは導きだされることなくメビウスの輪のごとく輪廻を繰り替えすのです。
世の中に「正解」など無いといいます。
あるとすれば、それは自身の主観による信念がそう感じさせるのでしょう。
それでも僕は、こうした反面教師を体感する度に、少しでも固定観念にさらされないように、せめてなるべくフラットな視点で物事を見据えらえるように生きていこうと思うのでした。
それは、きっと延々と繰り返す人生を掛けて続いてゆく課題なんだろうなぁと肌で感じながら
追記
どうやら、今回の本記事、スマートニュースで取り上げられたようで、本日かなりのアクセスを頂いております。(2019/3/13現在)
スマートニュース経由の方はおそらく僕の記事を初体験されたことと思います。
そこで、自薦記事をここにいくつか挙げておきますので、もし僕の思考に興味が湧くようでしたら是非閲読いただけたら嬉しいです。 では