あれは二十代の頃、当時交際していた女性と初めて映画を観に行ったときのお話です。
以前の記事でも綴っているように*1 この頃の僕は「人生で最大の映画生活」を送っていました。
もうその当時のあらゆるジャンルの映画を鑑賞し、過去の名作なんかもちょっと気取ってハマってみたり、、
そんな僕のマイブーム?を傍から見ていた彼女にしてみれば、この男に任せておけばきっとこの初映画デートをベストチョイスで飾ってくれるに違いないと思ったのでしょう。
その日、鑑賞する映画の決定権は果たして僕の手に委ねられたのです。そんな状況下、僕が選んだのは「ランボー/最後の戦場」でした。
おいおい、曲がりなりにもデートだろ??普通は無難にラブコメだろ?
百歩譲っても、社会派ドラマとか、、、というかランボーはありえん!
と、思われた方 それはある意味正解なのでしょう。ただ、この時の僕はもう只々自分のチョイスを疑うことなく信じていたのです。そう、この映画の良さが彼女にもきっと伝わるだろうと・・・
一昔前なら、誰もが名前くらいは知っていたであろうこの「ランボー」(1982年公開)。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、ざっと説明しますと、ベトナム戦争からの帰還兵であるランボーが訪れた町で邪魔者扱いされ、保安官たちと戦うという筋書きの第一作を輪切りに、元上官の司令で捕虜収容施設に侵入し極秘任務を遂行する「ランボー2/怒りの脱出」(1985年公開)、過去の戦いの心労により一度は戦うことを拒否したランボーが上官を救う為、再び戦場舞い戻る「ランボー3/怒りのアフガン」(1988年公開)の三作品が公開され、主演のS・スタローンのイメージも相まって戦争アクション映画としても人気が高い作品ですが、ベトナム戦争によって齎された、一人の兵士のその後の生き様がありありと描かれた人間ドラマともいえます。
戦争というテーマ上、過激な戦闘描写もふんだんに用いられ、非常生々しいのも特徴で、僕としてはその「戦争の伝えるリアル」を体感することで、兵士であるということや、過去の経験は簡単には拭い去れないという現実について考えさせられる、そんな部分を感じ取ってもらえたらなあと期待していたわけですよ。。。この4作目にして20年ぶりに復活した「最後の戦場」で
そして、皆さんご想像のとおり、その期待は見事に裏切られたのです
映画を見終えた彼女の口から発せられたのは
「これじゃ、幸せになれない!」
さすがに、期待があっただけに最初は何いってんだ?と茫然としてしまいましたが、よくよく考えれば、たしかに今作も過激な戦闘描写は健在どころか、序幕から地雷で吹っ飛ぶわ 3にも益して死者続出 もう20年ぶりは祭りだぜ!くらいの勢いの殺戮アクションの嵐に、普段とくにこうしたジャンルを見慣れていない彼女にとっては衝撃で、ストーリーや内容を追うどころではなかったのでしょう。
しかしながら、仮に内容を追っていたとしても、今作のラストは決してバッドエンドではないけれど、かといって確かにハッピーとはいえず・・・
まあ、そんなことを考えているうちに僕の思考の中にはまったく別の疑問が浮かんできていたのです。
映画などの作品を観るとき、やはり皆、彼女のように最終的には「幸せ」を求めているのだろうか?
そういえば、先日、小説投稿サイトに、作品を投稿している友人と話していたのですが、彼もまた「物語はハッピーエンドでないと落ち着かない。自分はハッピーエンド厨だ」と公言していました。作品を創り出す側の人間でさえこう考えているということ(あくまで端例ですが)
それからやはり世の中よく見渡してみれば、ハッピーなことを求める風潮はたしかに強いであろうことは体感できます。
しかし僕の場合、そもそも物語の結末はGOODであっても、BADでもそれが作品として成立していればそれでいいという考えなのです。
むしろ、無理やりハッピーな結末に持っていくくらいならば、腑に落ちる救われないエンディングだって素敵だなと思ったりします。
特撮という子供向けに製作された作品において、勧善懲悪が基本スタンスであるということは、これも以前の記事*2 にてお話ししたことですが、そんな特撮におけるハッピーとはやはり「正義のヒーローが悪を倒し平和を勝ち取る」ことでしょう。
しかし、そんな期待を裏切った作品があります。
皆さんご存じ「ウルトラマン」です。
最終回である第39話「さらばウルトラマン」にて、ウルトラマンが謎の宇宙人*3 の連れてきた宇宙恐竜ゼットンにより倒されてしまうのはあまりにも有名ですよね。
いや、もしかしたらそれこそ、前述のランボー以上に今の若い世代には馴染みがない話なのかもしれませんが、、
かくいう僕だってリアルタイム世代ではないのですが、それでもやはりこの結末を知ったときは衝撃でした。
兎も角、この勧善懲悪における大団円を見事にぶち壊したかのような脚本でしたが、それでもウルトラマンが未だに愛されている作品なのは、いうまでもなく それは、この決してハッピーとは云えない結末の中に、しっかりとした視聴者へのメッセージが込められていたことも強く影響しているのでしょう。
必殺技を弾かれ、無敵の宇宙恐竜の攻撃の前に為す術もなく力尽きたウルトラマン。
しかし、ここで我らが科特隊は諦めなかったのです。
ウルトラマンがいない今、この異星人の侵略から人類を守れるのは自分たち自身だと言う自覚に目覚め なんと自分たち人間が開発したペンシル爆弾でゼットンを倒しすことで、平和を勝ち取ったのです。
このエピソードでは、この後のゾフィーがやってきてハヤタとウルトラマンの命を分離して、「二人」を解き放つ描写について言及されがちですが、僕はこの、「自分たちのことは自分たちで解決していかなくてはならない」というメッセージのほうより強くインパクトを覚えたものでした。
もちろん、ゾフィーの語る「命」の話も秀逸なのは言うまでもありませんが
このように、誰もが思い描くハッピーエンドの像を破壊しながらも、しっかりと伝わってくるものがある。
こんなエピソードならば、決して大団円でなくても良い作品だなぁと思えてならないのです。
元プロレスラーの前田日明氏は、少年時代に観たこのエピソードがきっかけで少林寺拳法を習い始めたという逸話もあったくらいですしね。
巧く伝わったかどうか分かりませんが、言えるのは、もし仮にこの最終回で、ウルトラマンがゼットンを倒してしまっていたら、生まれてこなかったメッセージがそこにはあったという事
だから、僕はハッピーエンドに拘らないのです。
作品の描く内容結末に「幸せ」を期待するだけが、鑑賞ではないのではないか。今回はそんな思いを綴ってみました。
たまには、そうした期待を捨てて、作者(脚本家)の描く世界を素直に味わってみることで新たな面白さや魅力を発見できるかもしれませんね。
では、また次回 徒然なるままに、、
PS, 例の彼女は結局その後、再度ランボーを鑑賞し、。決して幸せを求めるだけが作品の見方ではないと気付けたようでした。