人の書く文章を観て、「癖」を感じたことはありませんか?
僕は多々あります。基、「癖」を意識して読んでいるといっても過言ではありません。
世の中、この「癖」というのは、どうも悪い意味で用いられることが多いように感じます。
車の運転を例にみていくと、「センター車線寄り過ぎる」とか「加速が荒い」等、確かに安全上良くない癖が目に付きますよね
ところで、良いか悪いかは別として「癖」があるというのは、「その行為に慣れている証拠」だという捉え方もできるわけです。
上記の車の例でいえば、若葉マークの初心者は基本的には教習所で習った運転を意識しています。
しかし、人間慣れてくれば、余裕がでてくるもので、そこで自分なりの癖が出て来るわけです。
これを文章に例えるなら「慣れている人ほど癖がある」つまり、「基本」から逸脱した個性的な文章だったり、奇抜な文章が見られるということになります。しかも、そういう「慣れている」という時点で「基礎や基本」は押さえているわけで、「敢えて自分なりの文章」を書いていたりするものだと思うわけです。
文章の苦手な方の書いたモノというのは、雛形をトレースしたり、基本に忠実なため、読み手としては面白みに欠けます。少なくとも僕はそう思います。
このように、少なくとも、「物書き」の世界では「癖」は決してネガティブなものではないでしょう。むしろ才能
だから、日々 「書き手の癖」に注目してしまうのです。
こうした「癖のある素晴らしい文章」を書くためには、やはり慣れることが大切です。
慣れるためには、たくさんの文章を書き、また良い文章を読み、吸収し自分の糧にしていくというように そこに至るまでには並ならぬ「集中力」が要ると思います。
ここでいう「集中力」とは、「他の物事が目や耳に入らないくらい目前のことに没頭する」ということにしておきます。
ゲームも然り、絵を描いたり楽器を演奏し、集中していると時を忘れて夢中なりますよね あの感覚です。
この「集中力」ですが、これが案外やっかいなもので、こうした「創作活動」などの何かを生み出すような作業には真価を発揮するのですが、我々の日常生活では、時に「邪魔で足枷」になることすらあります。
社会生活は、他人のとコミュニケーションにより成り立っています。そして世の中は、常に流動しています。
サラリーマンなら、会社では電話や接客対応に追われ、時にはその場で解決しない案件は頭の隅に詰めたまま、他の対応をそつなく熟していくという能力が随時求められるでしょう。
また、家庭に於いても既婚家庭持ちの方であれば、例えば、子供がまだ幼ければ、常に目を配っておかなければりませんから、それこそ何かに一点集中などしていられません。
ホテルなどのサービス業では、常に客の動きを見て
それに合わせて即対応できるアンテナを求められます。
他にも様々な場面で、このように脳を「一点集中させない使い方」を強要されるのが、社会生活。
ちょっと巧い表現が思いつきませんが、、
このような「脳を常に宙に浮かせた状態」
言い換えれば、まぁ「脳を常時待機、いつでもスタンバイOK 」な状態に保つというのは、「一点集中力脳」とは相反するものだと思います。
前者が属にいう「視野を広く持て」として世の中で推奨される考え方ならば、後者は、「周りがみえていない」とレッテルを貼られ兼ねない考え方ではないでしょうか
そして、これは全く根拠のない僕の勝手な持論ではありますが、その二つを共存させるのもまた能力であり、中には一方ばかりに慣れてしまえば片方の「使い方」を退化させてしまう人間もいるのではないかと思うのです。
つまり「脳を浮かせばかり」の生活では、そのうち「集中力脳」が働かなくなるのではないかと
また、逆も然り 職場でそもそも周りがみえないのは「集中力脳」が優勢だから 脳を浮かせるのを潜在的に拒絶しているんじゃないかなとも
そんな風に妄察します。
作家 村上龍氏の著書に「13才のハローワーク」というのがあります。かなり有名な本ですし、ドラマ化もされ、また後に改訂版※1もでていますから
ご存じの方も多いでしょうが、敢えて説明しますと
職業についてのあれこれがまだわからない13才という時期に世の中に無数にある職業を分かり易く解説していくといった内容なのですが、確かに 13才(つまり中学生)が普段 身近で接する「職業」といえば「教師」くらいのもですからね。 そこを巧くついた発想に惹かれたのと、また自身の視野を広げるためにもとても良いなという思いで、当時大学生だった僕はこの本を読んだのですが
数々の職業解説がかかれているその中で、目を引いたのが、「作家」の項目でした。氏自身が作家である故に、一体どんなことが書いてあるのか、興味津々で読み進めると そこには、「作家というのは人生の最後の砦であり、端から目指すようなものではない」といった趣旨のことが書かれていたのです。これだけだと、なんだかひねくれた大人の皮肉にしか聞こえないのですが、重ねて、こうも書いて遇ったのです。「それでも作家を目指すなら、様々な職業を経験して、それでも尚 世の中に伝えたいことがあるという意思があるなら 成ればいい 作家に定年はないのだから」というような内容でした。
なるほどここまで読み進めた当時の僕は
「作家というのは、やはり様々な経験を積んでこそ、良い物が書けるのだから、まずは世の中を知るために色々と経験しなさいよ 作家はそのあとでいいから」
と、譜面どおりとも言える解釈をして それで尚、この人は深いこというなぁと関心していたのでした。
しかし、時を経て いまこの記事を書きながら僕は思うわけです。こんな解釈だってできるんじゃないかと
「世の中で、様々な職業を経験してみて、そこで合わない(つまり、待機的脳の使い方が苦痛)、出来ないと感じたなら、貴方はきっと「集中力脳が合っている」だから作家に向いている そこではじめて作家を目指せばよい」
と
もちろん氏にそんな意図があったか、そもそもそんなこと 考えていたかは 分かりませんが
解釈は読み手の自由ですからね
今、現在の僕はこのメッセージをこのように捉えるのでした。
※1 新たに職業を追加した改訂版
- 作者: 村上龍,はまのゆか
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/03/25
- メディア: ハードカバー
- 購入: 13人 クリック: 215回
- この商品を含むブログ (42件) を見る
オリジナル版を読まれたい方はこちら
文中紹介した「作家」以外にも氏の独自視点での解説は発売から日が経ったいまでも色褪せていないと思います。尚、文中の作品内容紹介はあくまで僕なりのまとめです。細かなニュアンスの違いないなどはご容赦をm(_ _)m
これを読み貴方も自分なりに職業分析してみませんか?
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2003/12/02
- メディア: 大型本
- 購入: 16人 クリック: 566回
- この商品を含むブログ (236件) を見る