奇特な世界へようこそ~僕の思考回路~

僕ことURAKIが綴る目眩く思考・嗜好・そして志向の世界へようこそ。貴方にニッチな体験と出会いをお届けする そんな雑記をご賞味下さいm(_ _)m

思い出は美しいからこそ語りたいモノ

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現代のネット社会では、様々な「表現」が日々、生まれて続けています。
勿論、アナログな時代もそうした「新しい表現」は誕生していました。
例えば、離婚者のことを、バツ〇〇(丸々は離婚した回数)で表現するのは、明石家さんまさんのTVでの発言が発端というの有名な話です。
僕などは、正直間の抜けた表現とも軽々しいとも感じますが それまでの社会で日常的に使われていた「離婚者を挿す隠表現」(例えば、出戻りなど)の代替としては、ダイレクト差別的でない分、「言葉として進化した」とはいえるかもしれません。
そんな事も見据えて発案?したのは定かではありせんが、本来「ネガティブなもの」を「ユーモアな表現」に転換させ広めたのは、さすが芸人ですよね。  

閑話休題

このようにアナログ時代に生まれた「新しい表現」には、特徴がありました。
勘の良い皆さんは おそらくお判りでしょうが、
「その大半がメディアを媒介して誕生してメディアを通じて流布している」という点です。

ネット環境のない時代、個々人レベルで思いついた「表現」が、全国区で、流行するというのは、まず雲を掴むような話だったのは容易に想像できますね。
仮に万一、個々人レベルの考えた表現が流行したなら
そこにはやはりメディアによる仲介(TVでの取材 宣伝など)があって初めて成りたっていたわけで、、

このように結局は「メディアによって検閲、吟味された表現」が新しく世間に浸透していたわけです。

意図的に「造られた」表現には真の意味で「毒」はないと思っています。

それはメディアが規制して 世に送り出していたから

しかし、現代はネット社会です。
ネットワークにより個々人が容易に繫がった環境ではメディアを介する必要なく、過去に類をみない量の「新しい表現」が生まれているのです。

無論 メディアを介さない(倫理的フィルターを挟まない) それらの中には「毒」を含んだモノも潜んでいるのが現状

中には一見「毒には見えない(聞こえない)」けれど、じわじわと精神を蝕む そんな表現が存在していると感じます。
無論、これは僕の感覚であり 皆さんがどう思うかは別の話ではありますが、、

今回はそんな「毒表現」と、その効用について
ひとつの例を元に言及していきます。

基本的に人は思い出を語りたい生き物だと思っています。
勿論、中には 過去の栄光に縋るような考え方のは好きじゃない とか 過去より未来、むしろ「今でしょ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、、、

例えば、認知症の高齢者は、近年やごく最近の記憶は不安定ですが、遙か過去の若かりし頃のことはよく覚えていて、それを語り聞かせたがる傾向にあるといいますし、人間歳を重ねると過去を語りたくなるのは、シニア層をみていれば なんとなく感じるものがあります。

人は何故思い出を語りたくなるのか?
それは、「その思い出が美しいから」ではないでしょうか。

少々強引かもしれませんが、
会社も定年退職したシニア世代なら、人生の四分の三には達しているであろう「現在の自分」の晩年生活より、例えば過去に第一線でバリバリ活躍していた若かりし自分に思いを馳せるのは当然だと思うのです。

これは、我々若い世代でも同じで「中学生の頃、部活で輝いていた」ならば、その思い出は美しく、表立たなくとも、潜在的には誰かに伝えたいかもしれません。

そんな僕も過去の思い出話は好きで、よく友人知人に語るのですが
例えば、ゲーム 特にファミコン時代のレトロゲームについての思い出話。

ファミコン時代のゲームというのは、基本的にクリア不可能ではないか?と思わせるような極悪難易度のソフトが、溢れていました。※1

当時から僕は、「好きなことには過度に取り組み夢中になる」性格が高じて、当時、友人知人が攻略できなかったゲームを攻略していく※2のは勿論 
様々な知識 テクニックも身につけた まさにゲーム神童でした。※3

そんな難関ゲームに挑み極め おまけに蘊蓄まで完備。そんな、とことんゲームをやりこんだ日々は やはり輝かしい思い出です。
 

その日もいつものように、一人の友人相手にファミレスで食事をしながら、僕のレトロゲーム蘊蓄を披露して悦に浸っていました。

この日はあるマイナーなレトロゲームについて語っていたのですが、友人がこのゲームを全く知らなかった為、僕が内容を言葉で伝えるも、イマイチ相手も、ピンときていなかったようで、なんとスマホを片手に、そのゲームを検索し始めたのです。
そして、一言
「あれ? これお前が言うほど クオリティ高くないじゃない? ドット絵も雑だし これが名作ってさ、、 
それは 思い出補正なんじゃないの?」

お も い で ほ せ い

一瞬絶句しましたね。
確かに、その彼のみせたスマホ画像を見てみれば、まさにそのとおりで、かなりお粗末なゲーム画面なのが確認できました。まさにいうとおり
しかし、そんなことよりも、「過去の記憶を美化していた」自分を曝かれたような その一言に心を遣られたのでした、、、。

しかし、一呼吸置き、よくよく考えてみたのです。

思い出を補正して何がわるいのか
そもそも「嘘」はいってないのです
確かに、クォリティがイマイチと友人に共感したのは、「いま現時点での僕の感覚」で、改めてこの作品を視たからであり、「ゲームに夢中になっていたときの自分」にとっては間違いなく最高のクォリティだったはず。そう感じていたはずなんですよね。
だから、「気持ちに偽りはなかった」わけです。

そう思いなおすことで、なんとか気持ちを取り乱さず済んだのでした。

誤解なきように、この友人は決して僕をこのような心境に陥れようとして、スマホ画像をみせたり、あの発言したわけではなく、ただ純粋に気になり調べたのです。そう、無意識のうちに

この無意識というか無自覚というのは怖いものです。

例えば今回の件でも、思い出話というのは本人にとって大切で忘れ難いものだからこそ、語るのだというこの気持ちが少しでも理解できていれば、多少の、熱意による補正も、汲んで話を聞いたのではないか
そして、そんな配慮ができていたなら、話の途中でスマホを持ち出して現実をつきつけるという行為は そんな「思い出」を蝕む「毒」なんだと わかるはず

けれど、その気持ち配慮がなされなかったのは
何でも現実を突きつけるだけが正しいという誤認が成せる業かもしれません。
ネットで調べた「それ」は確かに「情報」としては正しい
しかし、思い出話に その現実は要らないってこと

思い出の世界にまで、まじまじと容赦なく
現実を突きつけてくる それがこの情報社会でありネット社会なんだと改めて感じました。

今回、ユーモアを交えてながら 語ってはいますが 実際には、このように考えさせられることが多い一件でした。
 
この記事を読まれた皆さんも、現実を突きつけるだけが正義ではない という意識
白黒はっきりさせることが本当に必ずしも幸せなのかということ を一度 自分なりに考えてみてほしいかなと思いました。  

ちなみに友人とは現在も相変わらず仲良くやっていますのでご心配なきようm(_ _)m


※1 高橋名人の冒険島(後にクリア) その他、ドルアーガの塔 たけしの挑戦状など ノーヒントではまず攻略不可能な作品が多数存在したのは有名な話。気になったかたは是非挑戦してみてください。 

※2 ロックマンシリーズの8体ボスをノーマルバスター無被弾撃破
  ドラクエシリーズ バグ 裏技を自力で多数発見するくらい周回等々
 こちも挑戦したい方はこちらでどうぞ
とくに知らない世代の方、当時の高難易度ゲームを是非 「ロックマンクラッシックスコレクション」FC 版の1~6をそのまま収録した3DS 用ソフト これなら気軽に挑戦できます。

※3 あくまで当時の周囲環境ではというお話です。上には上がいるということをネット社会に入り知りましたから 寛容にm(_ _)m